日中2か国語詩吟 – おれたち福井人  

カテゴリー: 日中2か国語詩吟

日中バイリンガル詩吟 第35作『漢廣』(詩經・國風周南)

 この『漢広』の従来の解釈は、「そそり立つ木は陰が少なくて休めない。遊女がいるが周の徳化が及んで固くみだりに言い寄れない。あの娘の嫁入りの馬に高く秀でた草を刈って馬草としてやろう。」などといったわかりにくいものが多かったようだ。白川静博士は、既に日中2か国語詩吟第31作でも述べた『蒹葭』(詩經・國風秦風)や『楚辞』の九歌,曹植『洛神賦』に歌われているように、水神祭祀の歌とする。朱子も何を指しているのかわからないとしている。白川文字学が『説文解字』がかかえていた不明確な点を明確にしたように、後世に発見された甲骨や金文の研究や民俗学的な研究から究明できるというのは興味深い。
 「漢有游女、不可求思。」については、「漢水の遊女」への誤解が問題となる。漢字の「遊」は、人が旗を持って外に出歩くという形。その旗は氏族の印で、そこには氏族の神、霊が宿る。自分が住んでいる本貫の地を離れる時は、異なった神々がいる世界に入るため、自分の氏族の神の旗印を掲げて出て歩く。氏族神である神も時々姿を現す。だから、それを迎えたり送ったりするお祭りをする。それがだんだん定例的になって、決まった日に神を迎えて祀る。祭りは、うかれた神を迎えて神と共に遊ぶ。神は人間の愛情の対象として求めることはできない。各章の最後に「漢の廣き泳ぐべからず、江の早き方(いかだ)すべからず」と嘆いて祭りを終える点でも納得できる。「永」の字は川が合流して勢いよく流れるところを示したものだから、「ながき」と訳さず「はやき」としている点も合点できる。
 その前の「南に喬木有り、休ふ可からず。」の部分の訳を吉川幸次郎訳で示したが、遊女の誤解がそこについても影響したものと思われる。御神木と考えれば、現代の日本人にも理解可能な範囲と思われる。
 また、第1章の末尾の字についてであるが、詩経の説明には毛詩が多く使われているために、1行目は「南有喬木、不可休息。」と「息」で終わっているものが多い。韓詩学派では、次の行からと統一して4行とも「思」で終わっている。「兮」と同じように助詞ととらえるべきなのだろう。白川訳では原文として「思」が採用されている。こうすることでも、「南の喬木」と「漢の遊女」に対する統一した理解が得られるだろう。
 こうした点から、白川訳の「みんなみの神の高杉 息ふすべなし 漢水の女神渡らふ 求むすべなし」を参考発展させたつもりで、「御神木の下にゃ息ふすべなし 神の御神渡り求むすべなし」とした。
 日本にも神婚説話・神婚譚がたくさんある。女神の乗る馬のために馬草を刈って神への贈り物にする点でも、わかりやすい。『蒹葭』の画像で船祭りの画像を利用したが、この「漢広」も祭りを類推できるもののように思う。
 前の34作では、洛天依と初音ミク、2人のVsingerに日中それぞれの言語を歌ってもらったが、Vocaloid6が多言語混在に対応したことを今頃になって知って対応してみた。女神を歌うということで、Vocalod6のAkitoに中国語、日本語の両方を、ハードロックの伴奏で歌ってもらった。
 和訳詞については、若干変更させていただいたことを既に述べたが、白川訳を24行中12行の50%を、そのままで利用することができた。

中日雙語吟誦 第35作《漢廣》(詩經·國風周南)
  這首《漢廣》的傳統解釋是,“聳立的樹木陰涼少,不能休息。雖然有妓女,但由於周國的德化,不能隨便求愛。割下高秀的草,作為馬草給那靚女出嫁時坐的馬吧。”等難以理解的解釋很多。 正如白川文字學明確了《說文解字》所具有的不明確之處一樣,從後世發現的甲骨和金文的研究和民俗學的研究中可以查明,這是很有意思的。
  關於“漢有遊女,不可求思。”,問題是對“漢水的遊女”的誤解。 漢字的“遊”是人拿著旗子出去走的形式。 那面旗幟是氏族的標誌,那裡寄宿著氏族的神、靈。 離開自己居住的本貫之地時,為了進入有不同神的世界,舉著自己氏族神的旗幟走出去。 氏族神的神也時常出現。 所以,舉行迎接和發送那個的節日。 漸漸成了慣例,在决定的日子裏迎接神。 祭祀是迎接神明與神明一起玩耍。 神不能要求作為人類愛情的對象。 在各章末感歎“漢之廣矣,不可泳思。江之永矣,不可方思。”結束祭祀也可以理解。 “永”字表示河流匯合後順勢流淌的地方,所以不譯為“長”而譯為“快”這一點也可以理解。
  之前的“南有喬木,不可休息。”部分的翻譯用吉川幸次郎譯表示,不過,遊女的誤解也影響了那裡。 考慮到禦神木,現代的日本人也能理解的範圍。
  關於第1章末尾的字,由於詩經的說明多使用毛詩,所以第1行多以“南有喬木,不可休息。”這樣的“息”結束。 但在韓詩學派中,從下一行開始,4行都以“思”結束。 應該和“兮”一樣認為是助詞吧。 在白川譯中,作為原文採用了“思”。 這樣做,也能得到對“南喬木”和“漢遊女”的統一理解。
  從這一點出發,參攷白川譯的“みんなみの神の高杉息ふすべなし漢水の女神渡らふ求むすべなし”進行發展,認為“禦神木の下にゃ息ふすべなし神の禦神渡り求むすべなし”。
  日本也有很多神婚傳說、神婚譚。 為了女神騎的馬,割馬草作為給神的禮物,這一點也很容易理解。 在《蒹葭》的畫像中利用了船祭的畫像,我認為這個“漢廣”也可以類推祭祀。
  在之前的34部作品中,洛天依和初音未來,2人的Vsinger唱了日中各自的語言,不過,到現在才知道Vocaloid6對應了多語言混合,試著對應了。 因為要唱女神,Vocalod6的Akito用中文,日語的雙方,硬搖滾的伴奏唱了。
  關於日語譯詞,已經敘述了稍微變更了的事,不過,能就那樣利用白川譯24行中12行的50%。

日中バイリンガル詩吟 第34作『桃夭』(詩經・國風周南)

 この『桃夭』は、日本の教科書が『詩経』の中で最も利用している詩ではないでしょうか?結婚の祝頌詩で、わかりやすいからでしょう。白川静博士は、花だけでなく同時に見ることのできない実や葉も歌っていることからも、同じ福井出身の恩師である橋本循氏が指摘した桃が悪邪をはらう呪力を持つ物と信じられていたからと見做しています。
 今回は、Vocaloidとして最も有名な初音ミクのソフトを入手して、洛天依(中国語)との共演にしてみました。

中日雙語吟誦 第34作《桃夭》(詩經·國風周南)
  《桃夭》是日本教科書在《詩經》中使用最多的一首詩吧? 因為是結婚的祝頌詩,所以很容易理解吧。 白川靜博士認為,不僅是花,還唱著同時看不到的果實和葉子,這也是因為同樣是福井出身的恩師橋本循先生指出的桃子被認為是具有驅除惡邪的咒力的東西。
  此次,得到作為Vocaloid最有名的初音未來的軟件,試著與洛天依(中文)的共同演出。