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日中バイリンガル詩吟 第27作『關雎』(詩經・國風周南)バロック宮廷舞踊調

日中バイリンガル詩吟 第27作『關雎』(詩經・國風周南)バロック宮廷舞踊調

 日中バイリンガル詩吟シリーズは、中国伝承吟誦に加え、その旋律で日本語漢字音や訓読などの日本語訳でも歌うという試みです。旋律や内容にあった伴奏もつけています。日中の漢字音での吟誦では、旋律の動きが平仄や声調、入声音の動きに合うように努めています。また、それらを五線譜や色分けした歌詞をつけた動画として視覚化しています。

 第26作からは、しばらく詩経に集中しようと考えています。中国でも古典教育が重要視され、10年ほど前からWeb上などでも吟誦教育についても知ることができるようになりました。詩経がよくとりあげられていたことは知っていたのですが、作詩を始めたところで七言絶句に注力し自作詩も吟じてみたいとして取り挙げずにきてしまっていました。
 また、白川文字学と詩経についても古代中国文学が関係していないはずはないだろう程度の理解であったのですが、日中2か国語詩吟の26作までの取組を白川静漢字教育賞に応募したことをきっかけに、白川静博士が古代歌謡の詩経と万葉集の比較にあたり、甲骨金文や古代人の信仰習俗等に関する民俗学的方法から研究し、従来の説文解字にとらわれない独自の漢字学を打ち建てられたことを知りました。また、白川静博士が福井県福井市出身、白川静博士の恩師である橋本循氏も福井県越前市(旧今立町)出身であることを詩経について調べていく中で知ることができました。

 旋律では、これまで最も多く利用したのが楊芬さんの吟誦で、ネット上で彼女の演奏などを視聴して採譜していました。半年前ほどに彼女の著書『斯文在茲 吟誦之路』を中国より入手しました。理解できていない部分がほとんどですが、吟誦について詳細に記述されています。付録として示範作品の楽譜冊子がついていて、冊子内のQRコードをたどれば演奏を聴くことができるようにもなっていました。詩経から7首の詩について吟誦例が示されています。これらをできるだけ、日中2か国語詩吟にしてみたいと考えています。

 今回取り上げた『詩経』開巻第一の『關雎』は、貴族たちの饗宴の中で演奏されていました。孔子のコメントも論語の中に残っています。泰伯第八の十五では、「第一楽章の楽師長の独唱から最終楽章の合唱合奏まで、その美しさは、ひろびろのびのび耳一杯に響き渡ることだ。(子曰、師摯之始、關雎之亂、洋洋乎盈耳哉。)」と。また八佾第三の二十では、「関雎の詩は、房中歌として夫婦愛の喜びを表しているが淫らということはなく、求める者の哀感つらさも表しているが悲嘆と言うほどでもない。調和がとれている。(子曰、関雎楽而不淫、哀而不傷。)」三拍子の旋律で、伴奏はバロック宮廷舞踊調を意識してみました。

 日本語歌詞については、これまでの訓読日本語訳は断念しました。が、詩的な日本語訳で歌うことができました。詩的な日本語訳として、目加田誠訳、海音寺潮五郎訳、白川静訳を検討しました。結果は、白川静訳が、ほとんど改変することなく、中国語吟誦に合わせた伴奏で歌うことができました。これは、白川静博士が、詩経をライフワークにされ、歌であることを意識されていたからでしょう。この訳本は、平凡社の東洋文庫として国風を1990年に残り全てを1998年に、博士88歳の時に刊行されたものです。博士は、同書のあとがきで、詩経を初めて読んだのは大正14年と述べています。福井市内の小学校を卒業して大阪の法律事務所に住み込みで働きながら夜学へ通っていた頃で、今の中高生の頃と思われます。昭和2年に体調をくずして福井に戻り、近所の老人から詩集を借りて一夏で詩経を筆写したとのこと。その後、詩経に関する研究で学位も取得され、『詩経』の研究は終生の志業の一つと述べていらっしゃいます。訳注本を刊行することも念頭にあったとして、目加田誠訳や海音寺潮五郎訳などにも触れ、国風が民謡であったことなどを意識した訳詞を試みてこられたとのことです。私としては、楊芬さんが譜面にしてくださっている7作中の1作目なので、今後、どうなるのかが楽しみです。この1作目『關雎』の博士の訳詞のあまりに見事な中国吟誦への一致には驚嘆するばかりです。改めさせていただいたのは、3箇所のみでした。「左右流之」「左右采之」「左右芼之」の訳「みぎひだり かきてとる」「みぎひだり つみてとる」「みぎひだり えらびとる」を全て「右に左に」とさせていただきました。

中日雙語吟誦 第27作《關雎》(詩經·國風周南)巴洛克宮廷舞蹈調

中日雙語吟誦系列除了中國傳承吟誦之外,還嘗試用其旋律演唱日語漢字音和訓讀等日語翻譯。也有符合旋律和內容的伴奏。在中日的漢字音的吟誦中,努力使旋律的動作與平仄、聲調、入聲音的動作相吻合。另外,將它們視覺化為帶有五線譜和分色歌詞的動畫。

從第27部開始,我想暫時集中在《詩經》上。在中國古典教育也被重視,從10年前開始在Web上等也能知道關於吟誦教育。雖然知道詩經被很好地列舉出來了,但是剛開始作詩的時候就致力於七言絕句,也想吟誦自作詩,所以沒有列舉出來。
另外,關於白川文字學和詩經,我也理解到了古代中國文學不可能沒有關係的程度,但是以中日雙語吟誦的26部作品應徵白川靜漢字教育獎為契機,白川靜博士在比較古代歌謠的詩經和萬葉集時從甲骨金文和古代人的信仰習俗等相關的民俗學方法研究,知道了不拘泥於以往的說文解字而建立了獨自的漢字學。另外,白川靜博士出生於福井縣福井市,白川靜博士的恩師橋本循先生也出生於福井縣越前市(舊今立町),在調查詩經的過程中得知了這一點。

  在旋律上,迄今為止使用最多的是楊芬的吟誦,我在網上觀看並譜寫她的演奏等。大約半年前從中國得到了她的著作《斯文在茲 吟誦之路》。大部分是不理解的部分,但詳細記述了吟誦。附錄附有示範作品的樂譜冊,追溯冊子內的二維碼就可以聽演奏了。從詩經中對7首詩進行了吟誦的例子。我想盡量把這些改成中日雙語吟誦。

這次提到的《詩經》開卷第一部《關雎》是在貴族們的宴席中演奏的。孔子的評論也留在論語中。在泰伯第八的十五中,“從第一樂章樂師長的獨唱到最後樂章的合唱合奏,其美麗是寬廣而舒展地迴響在耳邊。(子曰,師摯之始,關雎之亂,洋洋乎盈耳哉。)”。另外,在八佾第三的二十中,“關雎的詩,作為房中歌,表現了夫妻愛的喜悅,但並不淫蕩,也表現了追求者的哀傷,但也不至於悲嘆。和諧。(子曰,關雎樂而不淫,哀而不傷。)”三拍子的旋律伴奏試著意識到了巴洛克宮廷舞蹈調。

關於日語歌詞,我放棄了至今為止的訓讀日語翻譯。但是,可以用詩意的日語翻譯唱了。作為詩意的日語翻譯,討論了目加田誠譯、海音寺潮五郎譯、白川靜譯。結果,白川靜譯幾乎沒有改變,可以用配合中文吟誦的伴奏演唱。這是因為白川靜博士將詩經作為畢生事業,意識到這些是歌曲吧。這本譯本,作為平凡社的東洋文庫,國風在1990年剩下的全部在1998年,博士88歲的時候發行的。博士在該書的後記中說,第一次讀詩經是在大正14年。從福井市內的小學畢業,住在大阪的法律事務所一邊工作一邊上夜校的時候,被認為是現在的初高中生的時候。昭和2年身體不適回到福井,從附近的老人那裡借了詩集,在一個夏天抄寫了詩經。之後,在關於詩經的研究中也取得了學位,《詩經》的研究是終生的志業之一。因為也考慮發行譯註本,所以也接觸了目加田誠譯和海音寺潮五郎譯等,嘗試了意識到國風是民謠等的翻譯詞。對我來說,這是楊芬在樂譜上的7部作品中的第1部,期待今後會變成什麼樣。這部第一部作品《關雎》的博士譯詞對中國吟誦的一致性令人驚嘆。讓我修改的只有3個地方。 “左右流之”“左右采之”“左右芼之”全部都翻譯成了“右に左に”。