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日中バイリンガル詩吟 第33作『螽斯』(詩經・國風周南)

 周南の第5篇『螽斯』について、旧注新注とも、いなごによせて子孫繁昌をことほぐ歌。君主が多くの妻をもつという古代の制度のもとでは、子孫繁昌の前提として、君主の后妃、すなわち上位の正妻たちが嫉妬せず、妾たちにも多くの子を生ませることが必要であったが、この歌は、嫉妬しない后妃をたたえたものとする。白川静博士は、祝頌の歌。子孫の繁栄を歌う。螽斯の多産的な繁殖力をいうことによって縄々たる子孫を予祝する呪詞として用い、宴飲のときなどに歌ったものであろうとする。
 非常にわかりやすい短い歌であり、陳琴さんの旋律も童謡的なものであったので、子どもたちに歌わせたということもありうるのではないかと考え、今回は、吟誦をすべてVocaloidに任せ、Vsinger洛天依(中国語)とKaori(日本語)で行った。
 押韻については、第1章は「诜shēn」と「振zhēn」(譜面で第4声としてあるのは間違い)上平十一「眞」、第2章は「薨hōnɡ」と「绳shénɡ」(「绳mǐn」は陳琴さんにならってこうしたが間違いだろう)下平十「蒸」、第3章は「揖yī」「蛰zhé」入声十四「緝」となっている。

中日雙語吟誦 第33作《螽斯》(詩經·國風周南)
  關於周南的第5篇《螽斯》,舊注新注也以蝗蟲為例,歌頌子孫繁昌。 在君主有很多妻子的古代制度下,作為子孫繁盛的前提,君主的後妃,即上位的正妻們不嫉妒,妾們也需要生很多孩子,但這首歌歌頌了不嫉妒的後妃。 白川靜博士是祝頌之歌。 歌頌子孫後代的繁榮。 這是一首在宴飲的時候唱的歌,是作為根據螽斯的多產繁殖力來預祝繩々子孫的咒語使用的。
  這是一首非常通俗易懂的短歌,陳琴的旋律也是童謠式的,所以我想可能是讓孩子們唱的吧,這次把吟詠全部交給Vocaloid,用Vsinger洛天依(中文)和Kaori(日語)進行了。
  關於押韻,第一章是“詵sh ē n”和“振zh ē n”(樂譜上作為第4聲是錯誤的)上平十一“真”,第2章“薨h ō n ɡ” 和“繩shén ɡ” (“繩m ǐ n”是仿效陳琴老師這樣做是錯誤的吧)下平十“蒸”,第3章是“揖y ī” 和“蟄zhé”入聲十四“緝”。

日中バイリンガル詩吟 第32作『巻耳』(詩經・國風周南)

 周南の第1篇『関雎』第2篇『葛覃』は、第27、28作の日中2か国語詩吟として楊芬さんの旋律で発表したが、この周南第3篇『巻耳』も、白川博士によると、原詩は祭祀や祭事的労働の歌であったものが、楽師による手が加わって饗宴に用いられていたものとしている。楊芬さんの書籍から取り組めるもの国風の5篇を終えたが、小雅と大雅にあと3篇ある。国風についてもう少し取り組んでからと考えていたところに、特級教師である陳琴さんの国風の8篇ほどの吟誦をネット上で聞くことができ、この『巻耳』もあったので採譜して取り組むことにした。
 解釈の上でも白川静訳が納得できるものであったし、陳琴さんの旋律につけた伴奏でも問題なく歌うことができた。第1章と第2章以下で異なる前後(男女)互唱の形式としているので、前章をVocaloidのVsinger洛天依(中国語)とKaori(日本語)で行った。前章は武人の征行にあたって、草摘み歌の形式で婦人が征夫を憶う情を抒べた部分であり、後章は後に重陽の節句の行事となった登高飲酒の俗であり、菊酒を酌み遥かに故郷を望んで魂振りをする古代の形態とする。摘み草を憶い人のいるところに通じる道の辺において邂逅を予祝する行為と、山に登って酒を酌みながら故郷をみはるかす山見の行為は、旅に在り、旅人を思うものの間に行われた魂振りの古俗であるとする。

中日雙語吟誦 第32作《巻耳》(詩經·國風周南)
  周南的第一篇《關雎》第二篇《葛覃》是楊芬的旋律,作為第27、28作的中日雙語吟誦發表的,這周南第3篇《卷耳》也根據白川博士的看法,原詩是祭祀和祭祀性勞動的歌曲,但由於樂師的幫助而被用於宴會。 從楊芬的書籍著手,國風的5篇已經結束了,小雅和大雅還有3篇。 正想著要多做一點國風的詩,就在網上聽到了特級教師陳琴的國風的8篇左右的吟誦,也有這個《卷耳》,所以决定采譜來做。
  在解釋上,白川靜譯也是可以理解的,陳琴的旋律伴奏也可以毫無問題地演唱。 因為第1章和第2章以下是不同的前後(男女)互唱的形式,所以用Vocaloid的虛擬歌手洛天依(中文)和Kaori(日語)進行了前一章。 前一章是武人征行時,以采草歌的形式抒發了婦女憶征夫之情的部分,後一章是後來成為重陽節活動的登高飲酒之俗,是斟菊酒遙望故鄉、振魂的古代形態。 在與記憶中的人所在的地方相通的道路邊上預祝邂逅的行為和登山邊喝酒邊看故鄉的山見行為,是在旅行中,在思念旅行者的時候進行的靈魂的古俗。