Old Stage 第一部トークショー から – おれたち福井人  

Old Stage 第一部トークショー から

第1部 トークショー

Nonky  コンピューター、通信、音楽を語る

私と音楽とのつきあいは古い。幼稚園の頃から、ピアノをそう熱心でもないが、中学までは習い続けてしまった。自分で目覚めたと考えているのは、中学時代に質屋でギターを手に入れてからだろう。ただ楽譜をピアノで忠実に弾いていた時には、気づくことのなかった和音を知ったのだ。なぜ、なんでもない和音をギターで爪弾いて感動していたのかを、今考えてみると、自分はとにかく歌好きで、伴奏の手段として手軽であったギターに何か得たものがあったのだろうと思う。歌の方も、どういうわけか、意味もわからない洋楽に魅せられてしまった。小学生の頃、アンディー・ウィリアムスやトム・ジョーンズ等のTVショー、そしてビートルズの来日の際のお姉さんたちの狂い様、オールナイト日本で聞こえてきた音楽、そうしたものに惹かれてしまったのだろう。当時は、明星や平凡の付録の歌謡曲の一部にコードが付されていたようだが、少ないギターの教則本などは、多くの場合PPMなどの曲を引き合いに出したものが多かったようだ。サイモン&ガーファンクルなども感動ものだったが、ギター符を見たのはずっと後だったように思う。
ちょっと変化が起きたのは、YAMAHAから出ていたライト・ミュージックを読み出してからだった。洋楽のピアノやギターの完全コピー符や作曲講座など、いつも熱心に読んでいた。ピアノの弾き語りを始めたのもこの頃からだと思う。中3の時、ギターで歌っていたニール・ヤングの『孤独の旅路』は今でもそらんじている。ジェイムス・テーラーのギター符なども勉強になった。
高1の時、高校生バンド合戦というのがあり、中学時代の友人と二人で異色の生ギターとオリジナルで出場した。その際、高校2、3年と、バンドを組むことになった二人と知り合うことができた。そのバンドにも思い出はあるが、コピーバンドだったし、バンドにはつきものだが皆好みも違っていて、自分だけギターやピアノの弾き語りで YAMAHAのポプコンなどに出ていたが、北陸大会止まりであった。
高3の時、吉田拓郎などが興したフォーライフレコードのテープ・オーディションに応募して、1500人中10人程度に絞られたので、東京に来てみてほしいと言われたが、自分は、高校の定期試験の方を大事にしてしまった。この選択は、今でも正しかった信じている。何せ、このルックスと節操のなさでは、長続きはしなかったのではないかと思うからだ。
大学でも、キーボードができるとなると、バンドからひっぱりだこで、自分の好きなジャンルでなくても、フォーク、ハードロック、プログレ、クロスオーバー、フュージョンと何でも参加した。いろいろ勉強になった。しかし、やはり大学4年の時に全曲オリジナルで出たコンサートはいい思い出になっている。
就職して、仕事の必要性からコンピューターとアマチュア無線を始めた。アマチュア無線では、アンテナフイーダー線だけで作ったアンテナで6mバンドでフィリピンと交信できたことから、欲が出て2アマの資格を取り、HFバンドや衛星通信に狂っていった。形式も PHONEやCWだけでなくFAXやRTTYなどを始めだした頃から、コンピューターが関係しだした。更に大きく変化したのは、RTTYのメイルボックスやパケットRBBSが始まったことだった。

特に、現在のインターネットと同様のプロトコルの元作り出されたパケットRBBSは転送ネットに発展し、

JH9LYE@JH9LYE.29.JNET9.JPN.AS

という形で、ホスト局までやりだしてしまった。
これは、全世界のアマチュア無線をリンクしたもので、インターネットメイルも一部扱うことができた。自分からの直接のリンク先、福井のJA9PQ局、大野のJA9BOH局、松任のJA9CAO局だけに飽きたらず、HFを介して香港のVS6UF局などとも接続していた。6年間ほどは、コンピューターと4〜5台の無線機は電気を落とすことがなかった。
この転送ネットを動かすために、IBM互換機とのつきあいが始まった。初めは、MITENEにホームページも出されているJA9MJR局から、XT互換機を譲り受け、8088 、80286、80386と次々とアップしていった。そんな時、DOS/Vの嵐が起き、仕事上でもPC88、PC98とお別れすることができた。
音楽とコンピューターは、PC98とミュージ君で始まり、Windowsにつながってきた。転送ネットでもMIDIは流れていたし、Niftyなどで楽しむこともできた。
こうした時、1年半の中国派遣の命を受けたので、転送ネットはやめざるをえなくなってしまった。帰国後は、中国関係の仕事も本格化し、第3部はインターナショナル編とさせていただいた。

以上、私と音楽、コンピューター、通信とのつきあいを述べさせていただきました。
第2部や第3部の作品は、こうした環境化で生まれたものです。 古きを懐かしむお話や作品等へのご感想、どしどしお寄せください 。

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