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日中バイリンガル詩吟 第32作『巻耳』(詩經・國風周南)

 周南の第1篇『関雎』第2篇『葛覃』は、第27、28作の日中2か国語詩吟として楊芬さんの旋律で発表したが、この周南第3篇『巻耳』も、白川博士によると、原詩は祭祀や祭事的労働の歌であったものが、楽師による手が加わって饗宴に用いられていたものとしている。楊芬さんの書籍から取り組めるもの国風の5篇を終えたが、小雅と大雅にあと3篇ある。国風についてもう少し取り組んでからと考えていたところに、特級教師である陳琴さんの国風の8篇ほどの吟誦をネット上で聞くことができ、この『巻耳』もあったので採譜して取り組むことにした。
 解釈の上でも白川静訳が納得できるものであったし、陳琴さんの旋律につけた伴奏でも問題なく歌うことができた。第1章と第2章以下で異なる前後(男女)互唱の形式としているので、前章をVocaloidのVsinger洛天依(中国語)とKaori(日本語)で行った。前章は武人の征行にあたって、草摘み歌の形式で婦人が征夫を憶う情を抒べた部分であり、後章は後に重陽の節句の行事となった登高飲酒の俗であり、菊酒を酌み遥かに故郷を望んで魂振りをする古代の形態とする。摘み草を憶い人のいるところに通じる道の辺において邂逅を予祝する行為と、山に登って酒を酌みながら故郷をみはるかす山見の行為は、旅に在り、旅人を思うものの間に行われた魂振りの古俗であるとする。

中日雙語吟誦 第32作《巻耳》(詩經·國風周南)
  周南的第一篇《關雎》第二篇《葛覃》是楊芬的旋律,作為第27、28作的中日雙語吟誦發表的,這周南第3篇《卷耳》也根據白川博士的看法,原詩是祭祀和祭祀性勞動的歌曲,但由於樂師的幫助而被用於宴會。 從楊芬的書籍著手,國風的5篇已經結束了,小雅和大雅還有3篇。 正想著要多做一點國風的詩,就在網上聽到了特級教師陳琴的國風的8篇左右的吟誦,也有這個《卷耳》,所以决定采譜來做。
  在解釋上,白川靜譯也是可以理解的,陳琴的旋律伴奏也可以毫無問題地演唱。 因為第1章和第2章以下是不同的前後(男女)互唱的形式,所以用Vocaloid的虛擬歌手洛天依(中文)和Kaori(日語)進行了前一章。 前一章是武人征行時,以采草歌的形式抒發了婦女憶征夫之情的部分,後一章是後來成為重陽節活動的登高飲酒之俗,是斟菊酒遙望故鄉、振魂的古代形態。 在與記憶中的人所在的地方相通的道路邊上預祝邂逅的行為和登山邊喝酒邊看故鄉的山見行為,是在旅行中,在思念旅行者的時候進行的靈魂的古俗。

日中バイリンガル詩吟 第29作『淇奥』(詩經・國風衞風)

 今回取り上げた『淇奥』は、慎み深い衛の武公の徳を礼賛した詩で、「切磋琢磨」の出典としても有名です。
 注目している白川静博士の日本語訳詞ですが、今回は次の箇所を改めさせていただきました。改訳箇所は多かったものの、内容を伝えながらの見事な歌詞となっていると思います。

   白川静訳 → 改訳
竹うるはしく茂りたり 竹茂りたり
うるはしき徳ある人は 麗しき殿
玉うちて磨くごと 玉うち磨くごと
竹うるはしく青みたり 竹青みたり
耳玉にうつくしき玉 耳玉美しく
冠の玉は星のごと 冠星のごと
竹うるはしく簀のごとし 竹簀のごと
金の如く錫の如く 金や錫のごと
圭の如く璧の如し 圭のごと璧のごと
戯れを好みたまへど 戯れたまへど
わるふざけはしたまはず 過ぎては為さらず

 「麗しき殿」は、NHK大河ドラマの『どうする家康』に影響されたかもしれません。

中日雙語吟誦 第29作《淇奥》(詩經·國風衞風)

  這次提到的《淇奧》是表示人們對衛武公讚美的詩,作為“切磋琢磨”的出處也很有名。
  關注的白川靜博士的日語翻譯詞,這次讓我修改了以下地方。雖然翻譯的地方很多,但我認為這是一首傳達內容的精彩歌詞。

白川靜譯 → 改譯
竹うるはしく茂りたり 竹茂りたり
うるはしき徳ある人は 麗しき殿
玉うちて磨くごと 玉うち磨くごと
竹うるはしく青みたり 竹青みたり
耳玉にうつくしき玉 耳玉美しく
冠の玉は星のごと 冠星のごと
竹うるはしく簀のごとし 竹簀のごと
金の如く錫の如く 金や錫のごと
圭の如く璧の如し 圭のごと璧のごと
戯れを好みたまへど 戯れたまへど
わるふざけはしたまはず 過ぎては為さらず

  “麗しき殿”可能受到了NHK大河劇《家康!怎麼辦?》的影響吧。