このサイトの吟唱作品を作成するにあたり、取り入れさせていただいているベスト3吟誦家の華鋒さん(『汪倫に贈る』『岳陽楼に登る』)の著書を入手したことで興味深い事実を知ることができ、福井県漢詩人協会の機関紙『越前風藻』に越風吟社の一員として投稿させていただきました。
 華鋒さんがお亡くなりになったニュースを見て初めて経歴などを知ることでき、著書を中国から入手し、彼の父親(師匠)が、吉川幸次郎氏と詩の応酬だけでなく合吟もしていたことを知りました。それで、吉川幸次郎氏側からも調べてみました。調べ方がまだ足りないかもしれませんが、吉川幸次郎氏のお亡くなりになる1年前の出来事だったためか、吉川氏の著書には、数行、杜甫の生誕地に行けなかった事実が記載されているのを見つけました。
 華鋒さんの著書には、父親の著書からの引用で、応酬のやりとりも書かれていたので、訓読や訳をつけてみました。

吉川幸次郎と合吟・応酬した中国人
             杉本 紀幸

 ネット上で中国人の吟誦を視聴している。お気に入りが華鋒氏だったのだが、数か月前になって、大学教授にして非物質文化遺産(吟誦)伝承者であり、しかも残念なことには二年前にお亡くなりになっていたことを知った。そこで、彼の著書を中国から数冊購入した。『吟詠学概論』の中に、彼の師であり父親である華鍾彦氏が、1979年に吉川幸次郎氏が中国を訪れた際に洛陽での案内役を任され、車中で杜甫の『登高』を一緒に吟詠したのだが、驚くべきことに抑揚リズムが全く同じであったと本人著書に述懐しているとの記述があった。

 吉川幸次郎氏側からも調べると、『杜詩論集』の「杜蹟行」が1979年に中国文学研究者訪華団団長として訪中した際の文章だが、洛陽近くの杜甫の生誕地を訪ねようとしたが道路状況が悪く断念せざるをえなかったという旨の記述しかなかった。

 『吟詠学概論』には、応酬記録も掲載されていたので紙面の許す範囲でご紹介させていただく。中国語の書籍のため、読みと訳は私が行った。

 華鍾彦氏が行程変更を申し出た七絶。

  窑灣春漲路難開 杜老遺踪鎖碧苔

  領會靑雲動高興 明年掃徑待君來

 窑湾は春漲り 路開き難し、杜老の遺踪は 鎖され碧苔。領会す青雲の動き高興なるを。明年径を掃き君の来たるを待つ。

 杜甫生誕地南瑶湾村までの道は雪解け水で閉ざされ遺跡は苔むしている。学徳の高いあなたの訪問を受けたので来年には道を整備して再びお迎えしたい。

 仕方なく代替訪問地の龍門石窟への車中で、『登高』を合吟したとのこと。吉川氏は帰国後に次の五律を華氏に返して来た。

  子美釣游處 土樓尙存在

  心孩勤棗栗 思壯詠鳳凰

  命駕靑泥阻 凝眸绿野蒼

  明年邀我去 地主意偏長

 子美の釣り遊びし處、土樓尚存在す。心孩くして棗栗に勤しみ、思い壯にして鳳凰を詠ず。命駕靑泥に阻まれ、凝眸緑野蒼し。明年我を邀ひて去かんことを。地主意偏に長し。

 杜甫が釣りをした場所には土楼が今も残っている。幼い頃は棗や栗を集め、後には鳳凰を詩に詠った。車で行こうとしたが、泥濘に阻まれた。緑野が広がっていた。来年、私を誘って一緒に行こうと土地の人は言ってくれた。

 華氏の七律。

  少陵一筆拔三唐 引得雲旗指聖莊

  曾托生死歌義馬 甘供心血養雛凰

  羯胡未靖三巴亂 稷契無成兩鬢蒼

  共誦登高洛陽道 論文何日引懷長

 少陵一筆三唐を拔き、雲旗を引き得て聖莊を指す。曾て生死を托して義馬を歌ひ、甘んじて心血を供して雛凰を養ふ。羯胡未だ靖まらず三巴亂れんとす。稷契成る無し兩鬢蒼し。共に登高を誦す洛陽の道、論文何れの日にか懷を引きて長からん。

 杜甫は筆一本で初唐・盛唐・中唐、三代の詩人を凌駕し、詩の旗手として詩聖と仰がれた。かつては生死をかけて愛国を歌い、心血を注ぎ若い才能を育てた。異民族の侵入は治まらず、四川は混乱に陥っている。優れた政治家が現れず、私の両鬢は白くなってしまった。共に『登高』を吟じた洛陽の道で、いつの日か心ゆくまで詩を語り合いたいものだ。

 翌年、吉川氏の病死の報を受けての七律。

  悼念日本吉川幸次郞敎授

  聞君歸去我心哀 熱淚催詩吊夜臺

  中日論交文會友 京都立敎世多才

  登臨幷影成千古 吟詠同聲盡一杯

  未到窑灣莫惆悵 楓靑入夢待君來

 君が帰去するを聞きて我が心哀しむ、熱淚詩を催して夜台を弔う。中日論交して文を以て友と会う。京都に立教して世多才。登臨并影千古を成す。吟詠同声一杯を尽くす。窯湾に未だ到らざるを惆悵するなかれ。楓青くして夢に入り君の来るを待つ。
 あなたの訃報を聞き私は悲しみに暮れている。熱涙が詩を促し墓前を弔います。中日間で詩文を論じ合い友情を深めました。京都で教鞭を執り、世に多くの才能を示されました。景勝地を共に訪ねたことは永遠の語り草となるでしょう。詩を吟じ声を合わせ杯を酌み交わしました。窯湾に行かなかったことを悲しまないでください。青楓が夢に現れあなたの来訪を待っています。