日中2か国語詩吟 – ページ 6 – おれたち福井人  

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日中バイリンガル詩吟 第30作『河廣』(詩經・國風衞風)

 『河廣』は、衛の国から黄河対岸の宋の国にいる人を一途に想う歌です。一途に想う人にとって、黄河は広くないし、宋は遠くないのです。黄河は葦舟で行けるし、宋の国は背伸びすれば見えるじゃないかと考えるのです。一途な思いを、リズムアンドブルースの伴奏に載せてみました。
 今回は、白川静博士訳「河を廣いというが、一葉の舟でわたれます。宋を遠いというが、つまだてば、あれにみえますよ。河を廣いというが、一艘の舟も容れぬほど。宋を遠いというが、朝の間にゆかれますよ。」は、楊芬女史の旋律にあてた伴奏に載せることはできませんでした。自分の訳詞を準備し、それなりのものはできましたが、原点に戻って、白川博士の1990年東洋文庫518『詩経國風』の「あとがき」をもう一度読んでみました。これまで、朗誦を意識した訳で、図書館で目にすることができた目加田誠訳、海音寺潮五郎訳、白川静訳だけを対象にしてきました。しかし、白川静訳があまりに見事にこれまでの3作にあてはまってきたので、他の訳を検討する必要がなかったのです。白川博士はこの「あとがき」で、『詩経』の研究を終生の志業の一つとしてきたことを述べていらっしゃいます。詩経を最初に読んだ大正14年からライフワークとして、国風を1990年に、残り全てを博士88歳の1998年に刊行されました。その間に、発表された他の方の訳本についても触れ、昭和8年の岡田正三訳、昭和32年の目加田誠訳、昭和49年の海音寺潮五郎訳について、コメントされています。
 岡田正三訳に対するコメントが、「論語を経文のように棒読みする音読論者であるこのプラトン哲学の研究者は、このような古典の訳詞にもみごとな才能を示した。古調もよし、また口語訳にもすぐれたものが多く、今も朗誦するに足るものがある。」とありました。私の日中2か国語詩吟も、音読論者に近い考え方なので、なんとか入手したいものと思っていたところ、福井市内のアテネ堂古書店で入手することができました。今回は採用できませんでしたが、確かに朗誦を意識したものがあり、今後も確認していきたいと思います。
 また、目加田誠訳については、数種類の訳本が存在することがわかり、福井市の美山図書館の蔵書で、白川博士が読まれた昭和32年のものに近い、昭和35年のものを目にすることができ、今まで見てきた昭和44年のものとは、違う訳が存在することに気づくことができました。今回の『河廣』は定型詩となっていて、見事に伴奏に載せることができました。今回は、目加田誠訳をそのもま採用させていただきました。
 白川博士は、3人の訳へのコメントのあと、御自分も詩経研究の傍ら御自身の訳も準備してきたことを述べていらっしゃいます。そして、訳本の刊行について触れ、「この書を今になって刊行しようとするのは、一おうはそのようなものを用意して、原詩の正確な理解の上に立って、次に詩才のあるかたが、存分にその訳筆を試みられるのがよかろうと、私なりに考えたからであった。」と述べていらっしゃいます。
 これまでも、若干の修正を加えさせていただきましたが、岡田正三訳や目加田誠訳の複数訳についても見ていこうと思います。

中日雙語吟誦 第30作《河廣》(詩經·國風衞風)

  《河廣》是一首從衛國一心想著黃河對岸宋人的歌。對於一心想著的人來說,黃河不寬,宋朝不遠。他之想黃河可以坐葦船去,宋國祇要伸個懶腰就能看到。我把一心一意的想法刊登在節奏和布魯斯的伴奏上。
這次,白川靜博士譯:“河を廣いというが、一葉の舟でわたれます。宋を遠いというが、つまだてば、あれにみえますよ。河を廣いというが、一艘の舟も容れぬほど。宋を遠いというが、朝の間にゆかれますよ。”不能登在楊芬女史旋律的伴奏上。準備了自己的翻譯詞,雖然完成了相應的東西,但回到原點,再次讀了白川博士1990年東洋文庫518《詩經國風》的《後記》。到目前為止,因為意識到了朗誦,所以只以在圖書館能看到的目加田誠譯、海音寺潮五郎譯、白川靜譯為對象。但是,因為白川靜譯太出色地適用於至今為止的3部作品,所以沒有必要討論其他的翻譯。白川博士在這個“後記”中,敘述了將《詩經》的研究作為終生的志業之一。從最初讀詩經的大正14年開始,作為畢生事業,國風於1990年發行,剩下的全部都是博士88歲的1998年發行的。在此期間,還涉及了其他人的譯本,對昭和8年的岡田正三譯、昭和32年的目加田誠譯、昭和49年的海音寺潮五郎譯進行了評論。
對岡田正三譯的評論是:“這個柏拉圖哲學的研究者,把論語像經文一樣直讀,在這樣的古典譯詞中也表現出了出色的才能。古調也好,口語譯也好,有很多優秀的東西,現在也有值得朗誦的東西。”。我的中日雙語吟誦也有直讀的想法,所以想辦法得到的這本,在福井市內的雅典堂古書店得到了。雖然這次沒能被錄用,但確實有意識到朗誦,今後也想確認一下。
另外,關於目加田誠譯,發現有幾種譯本,在福井市美山圖書館的藏書中,可以看到與白川博士閱讀的昭和32年相近的昭和35年的譯本,發現與至今為止看到的昭和44年的譯本存在著不同的翻譯。他這次《河廣》的翻譯是定型詩,很好地登上了伴奏。這次,目加田誠譯被採用了。
  白川博士在對3人翻譯的評論之後,闡述了自己在詩經研究的同時也準備了自己的翻譯。然後,關於譯本的發行,他說:“之所以現在發行這本書,是因為我自己考慮過,最好是準備好這樣的東西,站在對原詩的正確理解上,然後有詩才的人,可以盡情地嘗試翻譯筆。”。
到目前為止,雖然也進行了一些修改,但我想看看岡田正三譯和目加田誠譯的多個翻譯。

日中バイリンガル詩吟 第28作『葛覃』(詩經・國風周南)

 今回取り上げた『詩経』開巻第2の『葛覃』も、前作の『關雎』のように、貴族たちの饗宴の中で演奏されていたとの記録が『周礼』や『礼記』にあるそうで、『葛覃』の雰囲気を受け継ぐ編曲にしてみました。
 『論語』に直接のコメントはないようですが、西郷隆盛の愛読書として有名な佐藤一斎の『言志四録』(『言志晩録』140)には、「關雎の化は、葛覃・巻耳に在り。勤儉の風、宜しく此れより基を起すべし。」との記述があります。
 儒教において勤勉・倹約・婦徳などの教育に使われたようですが、里帰りの歌のようです。新妻は嫁して三ヶ月後に嫁ぎ先の廟見の礼を許され、その後、里帰りして実家の氏族霊に報告することで、両家の融和をはかったそうです。その祭礼用の服を葛の繊維で作ったようです。里帰りにあたって新妻は教育係の師氏に許可を得なければならなかったようです。
 注目していた日本語訳詞ですが、やはり白川静訳は、ほぼパーフェクトに、楊芬さんの旋律をもとにした伴奏の上で歌うことができました。改変した場所は、『關雎』よりも少なく、「細き布太き布とり」の「とり」を除いただけでした。

中日雙語吟誦第28作《葛覃》(詩經·國風周南)

  這次提到的《詩經》開卷第二部《葛覃》也像前作《關雎》一樣,在《周禮》和《禮記》中有在貴族們的宴會中演奏的記錄,試著將其作為繼承《葛覃》氛圍的編曲。
  雖然《論語》中沒有直接的評論,但作為西鄉隆盛的愛讀書而聞名的佐藤一齋的《言志四錄》(《言志晚錄》140)中有這樣的記述:“關雎之化。在葛覃卷耳。勤儉之風。宜自此起基。”
  在儒教中被用於勤奮、節儉、婦德等教育,但好像是回老家的歌。 新娘出嫁三個月後被允許去婆家拜廟,之後回老家向老家的氏族靈報告,謀求兩家的融合。 那個祭禮用的衣服好像是用葛纖維做的。 回老家的時候,新娘好像必須得到婦道指導老師的許可。
  有關我們矚目的日語翻譯詞,還是白川靜譯幾乎是完美的,可以在楊芬旋律的伴奏下演唱。 改變的地方比《關雎》少,只是除去了“細き布太き布とり”的“とり”。